
前々回に書いた
「脳は階層的ベイズ推論を行っている」
とは、脳を受動的なカメラではなく、「アクティブに外界の状況を常に予測・更新し続けている」ということ。
暗闇で丸い影が見えた時、「過去の経験」から「猫かもしれない」と予測し、近づいて確認しながら認識を更新する。
ここにおける「階層的」とは、脳の神経ネットワークは、視覚野などの単なる感覚の低次領域から、概念や文脈を扱う高次領域までピラミッド状の階層構造がある。
トップダウン: 高層の領域が「次はこういう刺激が来るはずだ」という予測を下層へ送る。
ボトムアップ: 低層の領域は、受け取った実際の入力と予測のズレである、予測誤差だけを上の階層に送り返す。
このように「すべての情報を毎回イチから処理する」のではなく、「予測とのズレ(誤差)」だけを上層へ報告してモデルを更新するため、脳は極めて少ないエネルギーで高速に世界を認識できる。
脳がこのようにベイズ推論を行なっているということを、予測符号化理論という。Karl Friston博士が提唱している。
脳は常に占い、推理しているのだ。
さて、脳は外界を受動的に「写し取る」のではなく、常に「予測」を生成し、その予測と感覚入力の誤差(予測誤差)を最小化するように動いているが、この誤差はKarl Friston博士らにより『自由エネルギー』と呼ばれている。この誤差が収束したとき、「知覚」が成立する。
さて、重要なのは高次脳は棋士のように数百手もの可能性の筋道を同時推論している。そこで最も重要なのは現実を把握するための「予測の絞り込み」であるが、ここで、アポーハ論が登場する。
ディグナーガの「牛でないものを排除する」というアポーハは、予測符号化の文脈では、行動に必要な「可能性の空間」を劇的に絞り込むための、高次予測のろ過機である。
例えば…
· 「牛」を知覚する
· 脳内で「乳を搾る」「草を食む」「4本脚」などの事前確率が活性化
· その予測に合わない感覚入力(犬、馬など)は予測誤差を大きくするので除外される
· 結果として「牛」というカテゴリが浮かび上がる。
· 有効機能(アルタクリヤー)を果たすために、認識内形象が生成される。
· 認識内形象と実際の知覚をすり合わせる。
· 誤差を高次脳に報告する
· 修正された事後確率(知覚)が高次脳に認識される
ディグナーガのアポーハ論や、ダルマキールティの「認識内形象」は、予測符号化理論との相性が非常によい。クマーリラは「牛性」という実体を求めたが、予測符号化はそれを必要としない。予測が有効に機能すれば、それで十分なのだ。
しかし、相性はよいが予測符号化理論が完全に仏教の認識論なわけではない。
例えば、ディグナーガはアポーハを言語(概念)の領域に限定し、知覚(プラティヤクシャ)は言語を離れた純粋な感覚データとした。ダルモッタラも言うように知覚は概念知の対象外としたのだ。しかしそうすると、ろ過機が機能しないではないか?という疑問が生ずるだろう。
これに対してはいちおう解答がある。予測符号化では、言語野(高次)から視覚野(低次)などの知覚へもトップダウン予測が降りてくるが、言語野(高次)から知覚(低次)の間に認識内形象という生成された形象を付託することにより、ダルマキールティは解決を計ったという解釈もあると思う。
予測符号化では、高次(言語野)からのトップダウン予測は、低次の感覚入力が脳幹や一次視覚野に到達するよりも僅かに遅れてフィードバックされる。そう、タイムラグがあるのだ。つまり、「最初の一瞬(0.1秒未満)」は確かにディグナーガの言う「無分別な純粋感覚(svalakṣaṇa)」が先行するが、その直後の認知のループにおいて、高次の言語的予測が知覚内容を塗り替える。
これを瞑想によって「最初の一瞬(0.1秒未満)」を把握した祖師たちによって刹那滅論は誕生したのではないか?と個人的には思う。







