紅蓮舎

天台寺門宗新発心、鸑鳴です。

蚩尤との戦い

蚩尤は霧に隠れ黄帝の兵に居場所をつかませない。そこで黄帝は蚩尤の居場所を掴むために、指南車を発明した、という伝承があります。時間を切断し暦を作り貯蔵し、都市や兵器を造るのは牛神であります。蚩尤の一族は農耕民族である。対するに方位、つまりは空間を切断する(測る)黄帝は何者であろうか?実は黄帝遊牧民である可能性が非常に高いのです。中国にはこのような論文があります。

 

一,史料中的黄帝和戎狄的关系

首先,古代史料明确记载了黄帝和我狄是一个源头。例如《山海经》记载了两个重要的

信息“有北狄之国,黄帝之孙曰始均,始均生

北狄",“帝生苗龙,苗龙生融吾,融吾生弄

明,弄明生白犬,白犬有牝牡,是力犬成”。

也就是说,北狄、犬我都来自于黄帝集团。

《史记》等汉代文献受到大一统思想的影

响,将所有部落和家族的祖先都追溯到了黄

帝,甚至还说匈奴也是夏朝之后,这些"万系一宗"的思想是不可信的。而《山海经》明显

没有受到官方的编撰,因此保留了许多非常原始的世系,反而显得更可靠。因此《山海经》关于黄帝和我狄的记载是非常具有参考价值的。


意訳しますと、


山海経』には2つの重要なことが記されている、

北狄の国があり、黄帝の孫の始均、始均は北狄に生まれた」、「黄帝から苗龍、苗龍から融吾、融吾から弄明、弄明の子である両性具有の白犬から犬戎が成った。」つまり、北方及び西方の遊牧民黄帝の子孫である。『史記』などの漢代文献は漢民族の大統一思想の影響を受けた。史記などの「万系一宗」の思想は信用できないが、『山海経』はそれらの中華思想による思想統制に無いものなので信用ができる。


北方及び西方の異民族、遊牧民黄帝の子孫であるとの証明されていますが、この論文はこの後、DNA調査なんかも頑張っていて中々信ぴょう性があります。


鮮卑」の拓跋氏も黄帝の子孫です。その昔、黄帝の子は25人おり、その一人である昌意の末子が北土の大鮮卑山に封ぜられ、そこから鮮卑と号すようになった。何が言いたいかと言うと、これらの遊牧民黄帝の関わりの裏付けだけでなく、指南車を使ったということは移動に慣れた部族、つまり遊牧民だと思うのです。そして、指南車が南を指すということは、「北から攻めている」ということだと思います。中原の北は遊牧民のテリトリーです。史書の記載によりますと、磁石は使われず、「機械により方位を特定する仕組み」であったとされますが、「操作者が最初に方角を設定する必要があった」ようです。そこで、方角を定める時に必ず、北極星を見ます。そこが基準です。常に移動する遊牧民である彼らは、方角の基準を民族の神としたのです。彼ら遊牧民北極星信仰はそのまま妙見信仰となりました。


さて、以下は再び『山海経』からの抜粋です。


山海経』によると、牛神蚩尤は風伯・雨師を従えて涿鹿の野で黄帝と戦った(涿鹿の戦い)。大雨と濃霧を起こして視界を悪くし、魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたという。黄帝は雨を自在に降らせたり止めて日照りを起こせる応龍に雨を止めさせ、黄帝は指南車を使い方位を示して霧を突破、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音の角笛などを使って響かせて魑魅魍魎をひるませ、ついには蚩尤を捕えて殺したという。


妙見菩薩の守護により、黄帝は見事に蚩尤の軍を破ります。先の論文で異民族もが黄帝の子孫だと、漢民族的な主張がありましたが。あくまで私の考えですが、彼はチンギス・ハーンのような人で、彼の部族が南下して蚩尤の一族、つまり本当の農耕民族を吸収したのではないか?と考えてます。つまり、遊牧民の王こそが黄帝だったのだと。清朝ヌルハチとかウラナラとかニオフルみたいな。

 

全世界に散ってビジネスに成功して豊かな暮らしをしている中華民族ユダヤ民族は、遊牧民的性質という点では非常に共通しています。


さて、次回は、黄帝がなぜ龍なのか、そして遊牧民と龍蛇の関係について掘り下げたいと思います。