数年前、神田の古書店でこちらの本を発見しました。驚くべきことに、法華経の梵語写本〈ケルン・南条本〉では観音経に阿弥陀仏が主役のパートがあることが了解されました。

翻訳の底本には、1837年にネパールで発見されたサンスクリット写本(英国・アイルランド王立アジア協会本)を基にオランダの仏教学者J・H・C・ケルンと南条文雄によって校訂された「ケルン・南条本」を用いられているようです。
この写本がもっと早く見つかっていれば日蓮の阿弥陀嫌いも無く、また日蓮宗と浄土宗、浄土真宗との宗教戦争も無かったことでしょう。日蓮聖人に見せてあげたい写本です。
具一切功德。慈眼視衆生。福聚海無量。是故應頂禮。
の後から、阿弥陀仏についての段があるのですが。以下、渡邊大濤 先生の翻訳です。
『斯くもこの世をいつくしみ、来世は佛陀となりたまふ 一切苦悩を消除したまふ觀世音を我は禮拜す。
世自在王を導師とし、比庄法蔵は世人に供養され多劫の修行と指導にて、無上浄正覺を成就せり。
右に左に立ちたまひ、無量光導師(無量壽佛)を煽ぎつ如幻三味によりて、萬國の勝者 (ホトケ)にゆきて供養したまふ。
西方に極樂世界あり、清淨極樂世界ありかしこに無量光導師といふ衆生の御者(無量壽佛)は住みたまふ。
そこに夫婦の性交無し、あに性交法のあるべきや 勝者の子らは化生して、満けき蓮華胎に座するなり。
またかの無量光導師は、無垢靈妙の蓮の胎なる獅子座の上に座したまひ、娑羅樹王の如く清々し。
またかる世界導師は、三界に比すべきものもなかりけり われこの功徳蔵を賛美して、速かに御身の如き最勝人となりぬべしと申す。』
この後に、爾時持地菩薩。即從座起。前白佛言。世尊…とよく知った観音経のラストに突入して行きます。
個人的には、以下のこの一節は鳩摩羅什にはキツイのでは、と。
そこに夫婦の性交無し、あに性交法のあるべきや
鳩摩羅什は将軍や皇帝など権力者により破戒を強いられ、妻帯者にされてしまっています。この梵語写本の一節が彼のトラウマを刺激した、それにより採用しなかった、もしくはこの部分を意図的に削除したのではないか?と思います。それが羅什訳が日本に伝わり日蓮により阿弥陀排除と解釈された原因とするならば、おそろしい話しです。史実は小説より奇なり。
なお、ケルン・南条本に関しては植木雅俊先生が、より現代的な素晴らしい翻訳をされているので、是非ご覧になってください。
